ツィッターの通知を見て

私のツィッターは自分のブログでの発言をツィッターに載せさせて頂いているところでありますが、このところ、ツィッターで私へのご意見が寄せられていることもあり過去についても読み返してみました。改めて、過去には随分色々と書かれていたことも分かりました。もっとツィッターについても使い方を勉強しないといけないなと感じた次第です。丁度今から一年前でしょうか。ネットで根も葉も無いことを書かれました。何でここまで誹謗中傷されなければならないことかと、ネットやマスコミの恐ろしさや記事の浅さを痛感した次第です。根も葉もないことを論評と称してネットに流していることに、その論評を支えるものはどれだけの取材を通して存在するのかと強い疑念を持ちました。浅い取材で事実と違う物事を事実であるかと決めつけ、それをネット上に流すことへの危険性を、ネット社会へと向かっているこの時代に警鐘を流さなければならないとも感じました。

以前に同期である元区議が港区議会へ請願を出して来ました。その請願審議の中で、私が事実として発言したことがその元区議のブログで全く違う発言として掲載をされていました。事実として私が発言したことであるならば、それはしっかりと受け止めなければなりません。しかしながら、請願審議の中で私が発言していない全く別の主旨を私が発言したかのようにブログの記事にしたことは許される行為ではありません。このことをその元区議に問い合わせを致しましたが、私がそう感じたことだから構わない。訂正をすることは無いと、未だにその記事を訂正されずにいます。その請願審議の議事録が有りますので、それで確認すれば元区議のブログが虚偽であることは一目瞭然であります。

ツィッターの通知で辿っていくと、私をネットやツィッターで誹謗中傷された方がいます。私に対して良く思っていない連中に取材をしたのか、どこのどなたから仕入れた情報かは分かりませんが、他人を中傷する記事を論評だから構わないと済ます適当さには呆れます。この方はどうも某団体が政権に凄い影響を与えているかのようなことを本にされて注目を浴びているようです。私としましては、これ以上を述べるには値しないことでありますが、私と同様に当事者を含めてどこまで取材されたかに疑問を持ちますが、ここで書くのはここまでとさせて頂きます。

しかし、ネットとは恐ろしい世界ですね。一人の人間を抹殺することぐらい簡単な話に感じます。ネットに流すと言うことは、書きっ放しではなく、それなりの責任の上に成り立つべきものと感じます。ヘイトスピーチが取り締まられている時代であるならば、ネットでの無責任な相手の人格を否定するような発言の影響を野放しにしていることにもしっかりと目を向けて頂きたいと思います。言論の自由とは無責任な発言の上に成り立っていることではないのでしょうから。

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