タブレットを使った議会進行

画像は港区議会第2回定例会の最終日において、議会のペーパーレス化推進のため本会議の進行を初めてタブレットを使って行いました。一枚々々紙を捲るよりスピーディーになりましたし、一回の本会議で議長だけでも100枚を超える紙を使うので、正副議長、正副運営委員長、区議会事務局等がタブレットを使うと相当なペーパーレス化に貢献出来るものと思います。次の議長にも続けて使って頂きたいですね。

みなと政策会議からの謝罪を受けて

この2年間、無事に港区議会議長を務め上げさせて頂きましたが、その船出は大変なものでした。区議会改選前に、みなと政策会議所属の横尾俊成議員から私のところへ内容証明が届きました。それはこれ以上の横尾議員に対しての行動を取れば、選挙妨害として訴訟も辞さないと言う訳の分からないものでした。前期の後半を、私は港区自民党区議団の幹事長をさせて頂いておりました。その時期に、横尾議員の区政上の虚偽記載の本が出版されました。これが各所属会派の政党批判や、区議会の中での事実とは違う実績の過大な表現について書かれていることが問題となったわけです。横尾議員の書いた本を見つけてきたのも私ではありませんし、その問題の処理については最大会派の幹事長として対応をしたのは確かに私でした。そう言った流れの中で、自党の批判をされた訳ですから、横尾議員に各会派としてこの本に対する質問書が出されました。その回答を受け、幹事長懇談会が開かれて今後の対応を協議しました。出版に詳しいある議員から、自分の本を回収して絶版にすることが著者にとって一番厳しい結果であるとの話となり、横尾議員はそれを受け入れて幹事長会で謝罪をすることとなりました。ここで申し上げたいのは全ては各会派との話し合いの中で検討され決定したことであります。このことは現在のみなと政策会議の前進であるみなと政策クラブも横尾議員に対して質問書を送り、虚偽記載の本については民主党も批判を受けており、他会派と同じように抗議をする状況でした。ここで申し上げたいのは、横尾議員はこの一連の流れを受け入れて謝罪をしたわけであります。しかし、それにも関わらず、区議会改選前のご自身のホームページを新たにする際に、この著書を改めて売ろうとしたわけです。自身のホームページから著書のところをクリックするとアマゾンの著書販売のページへ飛ぶようにされていた。これが新たな問題となってしまいした。当時、横尾議員は渡辺専太郎前議員が幹事長を務められいたひとりの声と言う会派に所属をしていて、最初の出版からこのHPでの新たな販売についても、渡辺幹事長を含めて各会派と対応を協議して来ました。そこで再販売をするHPの作成については、如何なものかとなった次第です。HPを修正してアマゾンで売ることの無いように注意がなされたわけであります。これは事実ではない出版物を公職の身にあるものが、その職に関わることを自身の著書で事実とは違う区政の成果を自身の手柄であるかのように書いて販売してしまったことにあります。この対応について、渡辺幹事長も交え協議をして、HPにて再度の謝罪をすることとなったわけです。ここで申し上げたいのは、もし自身の著書について自信を持って事実であるとするならば、謝罪等は拒否をすれば良かったことであり、回収や絶版など受け入れなければ良かったわけです。(実際は回収も数店で行われ、出版社とは絶版の話にはなっておりません。)この改選前のHPでの本の販売をされた際の抗議に対して、自民党議員団の私に対して内容証明が送られてきたわけであります。後に横尾議員から聞いた話では、私が横尾議員の住まわれている赤坂地域で誹謗中傷のビラを撒いた入り、右翼の街宣車を乗り付け、選挙の妨害をするとの話を聞き、そんなことをされたら堪らないと弁護士に相談をして内容証明に至ったそうであります。私には右翼の知り合いはおりません。(笑) 聞けば、そもそもの出版物の最初の問題化から全てを私が主導してきたと思っていたそうです。本を見つけてきたのも私ではありませんし、問題解決に向けて動いていたのは私が最大会派の幹事長であったからであります。それをある者に全てを主導して私が行っていると伝えられて私に内容証明を送ったそうで、連絡を寄こせと書かれていた弁護士事務所へ問い合わせたところ、大変失礼な対応を受けました。この対応については未だにその弁護士から謝罪もありません。そうこうしているうちに港区議会選挙が始まりました。選挙後に、民主党、維新の会、社民党、無所属の10名からなる「みなと政策会議」と言う会派が作られました。自身の所属している党で選挙戦を戦いながら、思想の違う党所属の議員が会派を組むのは区議会でのポストを欲しいからであろうと言う意見が出され、当時の正副議長から正副委員長を決めていく代表者会議は大揉めになりました。誰かが情報を流したのでしょう。全国紙の取材も受け、東洋経済オンラインやハフィントンポストからも酷い記事を書かれました。その後、事実ではないことを現職の区議から聞いたとハーバービジネスオンラインでも虚偽のことを書かれました。はっきりと申し上げますが、内容証明を送られたことも事実ではないことを吹き込まれて行われ、そう言った内容をマスコミにも流され、事実無根のことを書かれたことは私にとって重大な名誉棄損になります。しかしながら、そう言った酷い目に遭いながらも私は港区議会議長という要職に就くことが出来ました。それは議長である私がことを荒立てるにはいかないわけであり、何より事態の収拾を図る立場であるとも感じておりました。しかし、最初は議会運営にも邪魔が入り苦労をしたわけであります。5月に新たな任期が始まり、そのような揉め事が続き、9月の第三回定例会に入る前だったでしょうか、みなと政策会議の清家幹事長から相談を受けました。それは自会派にも委員会でのポストをまわして欲しいとのことでした。マスコミからも事実と違う内容で叩かれていましたので、当然のことながら清家幹事長や横尾議員からも私に対する批判をブログで書かれておりました。この一連のことは、実際に私の妻を大変心配させてしまったほど酷い話でありました。その私に対する批判をブログで書いている清家幹事長が、何で私にポストが欲しいと頼みに来るのか?私は事実とは違うブログを訂正するか、または削除してから頼みにくるのが常識ではないのかと清家幹事長に伝えました。そこでの清家幹事長の言い分は、ある議員からそのように聞いてきたからだとのこと。私が他会派の議員のブログやFB等を朝からチェックして粗探しをして、何か見つけると議会で問題にしていたと伝えられたそうです。私は自民党の副幹事長、幹事長、区議会議長を務めたこれまでの6年間、殆ど毎日を朝から夕方まで区議会に来て過ごしました。それは立場上、行政側とのやり取り等、それなりに仕事が有ったからであります。毎日、他議員のブログを覗き、一々問題にしているほど暇ではありませんでした。そのような私についての誤った情報が流され、人格を疑うような状況でネットからも叩かれましたが、清家幹事長と話をしていくうちに誤った情報を流す者が居ることも判明して誤解も解けていきました。そう言った時期を経て、2年間、意思統一を図ってきたみなと政策会議に対しては後半のポストを渡せるように、各会派の幹事長の皆さんへ相談をさせて頂きました。他会派の幹事長さんから、2年間の意思統一や議会への協力具合から、それを受け入れても良い話となっていきました。私を含め酷い非難を受けた自民党議員団との話し合いが一番大変でありましたが…。そしてこの度のポストの改選において、みなと政策会議も含めたかたちで進められ、副議長には七戸淳議員、運営副委員長には酷い目に遭わされましたが、横尾俊成議員が選任されました。そこで、清家幹事長や横尾議員から、自身のブログにおいてこれまでのことに関してコメントをもらいました。横尾議員とは和解と書かれていますが、内容証明が送られた中で、和解とはちょっと違うように感じておりますが…。しかしながら、私がハフィントンポストやハーバービジネスオンラインで書かれた人格を疑われるようなことは無かったわけであり、議長の重責を終えるにあたり、このような結末を迎えられたことに安堵をしております。この2年間に議長として開かれた議会を目指してきたことは、このような対立を生むことなく、区民の皆さんに議会の現状をしっかりと知って頂きたいと言う思いも強くあったからでもあります。清家幹事長、横尾議員のブログを掲載致しますので、お読み頂けましたら幸甚です。

 

※清家幹事長のブログです。

議会終了!会派に議会運営ポストが戻ってきました。


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2年前に港区議会議員選挙があって、再選させていただいて、4年間の任期のちょうど半分まできました。

 

今回の第二回定例会の最終日に、港区議会の議長、副議長をはじめ、各常任委員会の委員長などの議会運営ポストの交代がありました。

 

私が幹事長を務める会派「みなと政策会議」も、今回、港区議会の第2会派として正式に認めていただき、副議長ポストをはじめ、相応のポスト配分をいただきました。

関係者のご理解に深く感謝いたします。

 

今、私たちの会派は、民進党、社民党、無所属の9人の議員から構成されています。改選当初は、新しくできたばかりの会派で政党がバラバラであることなどから、他の会派から「採決の態度を統一できるのか」など、様々な指摘を受け、この2年間、私たちの会派は、議会運営ポストから外れた形で活動を続けてきました。

 

港区議会史上初めてのことだったので、そのことは多くのマスコミに取り上げられました。

私たちも、議会の中で正式な会派として認められないことに、強く反発していました。

ただ、反発しているだけでは前に進めないので、自分自身が幹事長として不慣れであることで、他会派から誤解や不安を抱かれていることを自覚し、この2年間、議長、副議長はじめ、他会派の幹事長ら執行部の方々とたくさんの時間をかけて、話し合いを続けてきました。

 

立場を超えて、親身になってアドバイスをくださったり、議会を安定させるために動いてくださった方々、大変な中でも支えてくれた会派の仲間たちに心から感謝しています。

 

 

 

(今定例会で議長、副議長交代のため、会派控え室に、退任の挨拶にみえたうかい雅彦議長と近藤まさ子副議長を囲んで)

 

この2年間、議長を務められたうかい雅彦議長と、出版した本をめぐってトラブルになっていた、うちの会派の政調会長の横尾俊成議員との和解も実現しました。

 

私は、議員が書いた出版物について、議会全体で問題視して出版をやめさせるようなことはあってはいけないという思いを持ってきましたが、では何でそんなことになったのかといえば、対立を仕掛けた議員がいたことが大きいとはいえ、やはりそんな事態になる前に、私たち自身もっとできることがあったはずだと、深く反省するところです。

 

強い圧力を感じて名誉を傷つけられた横尾議員も、当時、自民党幹事長として、話し合いで決まったことを守らせる役を負い、結果的に責任者となり、名誉を傷つけられたうかい議長も、どちらも“被害者”のように思います。

「もっと開かれた議会だったら、こんなことは起きなかったのに」というのが、双方から伺う共通した思いでした。

 

「雨降って地固まる、にしよう」

うかい議長はそう言って、議長就任直後から、議会正常化のために動き、「開かれた議会」を作るために、議長提案で様々な新しい試みを実践してくれました。

 

例えば、区民の皆さんに、議会が何をやっているかを報告する「全員議員報告会」。

会派を超えて、全議員で協力して開催するこの「全員議員報告会」は、23区の議会では3区目になり、議会改革度の指標にもなっている先進的な試みです。

参加してくださった区民の方々からも、「ぜひこうした取り組みを続けていってほしい」という声を、多数頂戴しました。

 

 

 

また、「みなと区民まつり」では、初めて「港区議会ブース」を出展し、一期生の議員が中心となって企画し、子どもたちに「港区の好きなところ」などを書いてもらい、オリジナルで作製した「子ども議会バッチ」や風船を配りました。保護者の方々には、「港区議会のしおり」などを配布しました。議会が少しでも身近に感じられるように、少しでも知っていただけるように、との思いからです。

 

 

この試みは大好評で、あっという間にバッチも風船も売り切れになりました。

子どもたちに書いてもらったお手紙は、港区議会の一階のロビーに展示されました。

 

そのほかにも、議場を区民の方々に開放して行う「議場コンサート」を度々開催したり、婚姻届を出しに来た区民の方々のプチ結婚式を行う「議場結婚式」を開催したりと、いずれも、多くの方々に、議会に親しみを感じてもらえるように、という新しい試みが、うかい議長の下で実践されました。

 

 

「ゼクシイ」と協働して初めての「議場結婚式」。公募で6組のカップルが結婚式を挙げられました。区長と議長による人前式。

 

 

「サントリーホールアカデミー」による議場コンサートも素晴らしかったです。たくさんの区民の方々に足を運んでいただき、満席でした!

 

また、議員発案の条例として「開かれた港区議会をつくる条例」の提案も、議長主導で行われ、残念ながら全会一致とならず保留になっていますが、今後、議員発案の条例を作っていく上で、どういうことを整備していけば良いのか話し合いが進み、「議員提案条例ができる議会」に向けて一歩を踏み出せたのではないか、と思います。

 

また、議会のICT化に向けて、議会全体で、逗子市議会視察や勉強会を行ない、このたび、行政側と一緒に進めていく方向で、区役所職員も交えての「検討会」を設置することになりました。

 

こうして、「開かれた議会」に向けての議会改革が進んできたことは、港区議会にとっての大きな成果だと思います。これを、さらに進めていけるよう、「雨降って地固まる」にできるよう、これから、心を新たに力を合わせて頑張っていきたいと思います。

 

 

 

新しい議長には、自民党議員団から池田こうじ議員、副議長にはみなと政策会議から七戸じゅん議員が選出されました。

私はもう1年、幹事長を務めさせていただくことになりました。

 

大変な2年間だったけれど、たくさんの人たちにいろいろなことを教わり、学ばせていただきました。

やっと、ゆっくり眠れるかな。。

※横尾議員のブログです。

会派にポストが戻り、私は議会運営委員会の副委員長に就任しました。


第二回定例会の最終日に、港区議会の議長、副議長、それに各常任・特別委員会の委員などの交代がありました。

私が所属する会派「みなと政策会議」も、区議会の第二会派として正式に認められ、相応のポスト配分をいただきました。私は、議会運営委員会の副委員長に就任し、建設常任委員会、東京オリンピック・パラリンピック対策特別委員会に所属することになりました。付属機関の消防団運営委員にもなります。

改選当初は、私たちの会派は新しくできたばかりで、かつ政党に所属している議員と私のような無所属の議員が混ざっていたことから、他の会派から「採決の態度を統一できるのか」などといった様々なご指摘を受け、議会運営のポストから外れた形で活動を続けてきました。

そしてこの度、各会派の方々からご理解をいただき、区議会の正常な形に戻ることになりました。またこの間、各会派との話し合いを続けてきた清家幹事長の奮闘には敬意を表したいと思います。(この間の経緯について、詳しくは、清家幹事長のブログをご確認ください。)

また、私が書いた出版物を巡り、当時、自民党の幹事長を務められていたうかい前議長との間に争いが生じておりましたが、この度、その和解もできたことをご報告致します。

出版物の絶版を迫る幹事長の圧力を感じ、内容証明を送ったのですが、うかい前議長は当時、自民党の幹事長という立場での発言だったこと、またその裏には、対立を仕掛けた議員がいたことが後になってわかりました。内容証明の送付により、結果的にうかい前議長の名誉を傷つけることになってしまい、反省しております。

「様々なルールや決定プロセスを透明化することで、より多くの人が主体的に政治に参加できるようにしたい」という思いで、これまで私も様々に議会改革につながる提案をしてきました。そうした意味でも、この間、「開かれた議会をつくろう」と「全員議員報告会」の実現、議会のICT化、また、こちらは保留となっておりますが、「開かれた港区議会をつくる条例」の制定に向けて前議長に積極的に動いていただいたことに、感謝しております。

こうした前向きな流れを今後さらに進めるべく、私たちの会派、また私個人としてもこれまで以上に提案し、他会派とも協力しつつ、任期中に一つでも多くのことを実現していきたいと思います。もちろん、「港区をよくする20の新アイディア」の実現に向けても、引き続き全力を注ぎます。

今後ともご意見・アイディアをいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

横尾俊成

ご報告

昨日の港区議会第2回定例会で、港区議会議長の重責を無事に終えることが出来ました。この二年間、近藤副議長をはじめ多くの方々に支えられ、議会報告会等の議会改革にも取り組まさせて頂きました。引き続き、港区監査委員を務めさせて頂きますが、この経験をしっかりと活かして、これからの議員活動に励んで参りたいと思います。お支え頂いた皆様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

秩父宮みなとラグビーまつり

秩父宮ラグビー場にて行われました「秩父宮みなとラグビーまつり」に伺いました。スタジアム通りを一車線に規制をして露店も出店して、盛り上げていました。

ラグビーの試合はサントリーサンゴリアスとワラターズの対決で、最後まで熱戦が繰り広げられていました。満杯まではいきませんでしたが、ワールドカップに向けて機運を盛り上げていかなければなりません。2020オリパラまでもがお荷物のような雰囲気になり、せっかくの2019から2020までの盛り上がりも何処へやらでは困ります。