うかい雅彦プロフィール

プロフィール

鵜飼 雅彦(うかいまさひこ)
生年月日 昭和33年7月12日 港区高輪に生まれる
血液型 A型
家族 妻 両親
趣味 ゴルフ 音楽鑑賞 映画鑑賞 食べ歩き
好きな食べ物 焼肉 餃子 鉄板焼き 麺類
最近ハマっていること YouTube鑑賞(特に犬やカワウソ等の動物の動画)
現在の役職等
港区議会議員5期目
港区立高輪台小学校同窓会 会長
港区立高松中学校同窓会 会長
専修大学体育会ゴルフ部O B会 前会長
自民党政経塾 第1期生
MOA港区児童作品展 実行委員会顧問
NPO法人日本ルーマニア音楽協会 理事
選挙成績
平成19年4月 港区議会議員選挙初当選(1397票・16位当選)
平成23年4月 港区議会議員選挙2期目当選(2011票・2位当選)
平成27年4月 港区議会議員選挙3期目当選(2283票・5位当選)
平成31年4月

令和5年4月

港区議会議員選挙4期目当選(2676票・2位当選)

港区議会議員選挙5期目当選(2902票・3位当選)

経歴
昭和33年7月12日 港区高輪に生まれる
私立高野山幼稚園卒園(3年保育)
港区立高輪台小学校卒業
港区立高松中学校卒業
私立成城高校卒業
専修大学経済学部卒業(体育会ゴルフ部所属)
昭和57年4月 株式会社明治屋入社(酒類卸部門配属)
平成元年3月 株式会社明治屋退社
家業 有限会社大桝屋(酒類販売業 〜平成17)
平成13年8月 飲食店経営(千代田区内幸町 〜平成20)
平成18年1月 結婚
平成19年4月 港区議会議員選挙初当選(1397票・16位当選)
まちづくり子育て等対策特別委員会副委員長(平成19〜21)
港区自民党議員団副幹事長(平成22〜25)
平成23年4月 港区議会議員選挙2期目当選(2011票・2位当選)
議会運営委員会委員長(平成23〜25)
平成25年度予算特別委員会委員長
港区自民党議員団幹事長(平成25〜27)
自由民主党港区総支部幹事長 (平成25〜27)
平成27年4月 港区議会議員選挙3期目当選(2283票・5位当選)
第44代港区議会議長(平成27〜29)
港区監査委員(平成29〜令和2年)
自由民主党港区総支部副支部長(令和2年〜5年)
平成31年4月 港区議会議員選挙4期目当選(2676票・2位当選)
オリンピックパラリンピック対策特別委員会委員長(令和3年〜5年)
東京都後期高齢者広域連合議会議員(令和3年〜)
令和2年3月 港区区政功労者表彰受賞
令和3年10月

令和5年5月

東京都都政功労者表彰受賞

建設常任委員会委員長(令和5年〜)

うかい雅彦 HISTORY
誕生 出産時に3キロを超える身体が直ぐに丸々となり、逆に母が栄養を取られて痩せ細っていたそうである。

幼稚園時代 私の栄養の取り過ぎで母が病弱だったために当時では珍しく3年保育に。家にいるのが大好きで、幼稚園では愚図って保母さんを困らせていた。ある時に園から逃亡して大問題に。吉展ちゃん事件が起きた後だったために大捜索になってしまったそうです。私は園庭の隣のお寺の境内の石碑の裏にいただけでしたが、大層怒られたのを覚えております。

小学校時代 スポーツは万能であったが典型的な悪ガキであった。小学校5年・6年では運動会にて短距離走は学年で1位。同じく水泳でも平泳ぎで1位。両方とも区大会へ出場する。

中学校時代 入学早々は悪ガキを継続。一年の秋頃にふたつ上の先輩に恋をして色気付いて大人しくなる。一年目は野球部。2年目からは部活動が授業に入ったために野球部が無くなり陸上部へ。陸上も水泳も各学年で一位となり、一年より三年まで区大会へ出場。特に陸上では3年生の区大会の百メートルで1位となり都大会へ出場するが予選敗退。

高校時代 入学時に勧誘を受けてサッカー部に入るが3ヶ月で退部。マイペースな高校時代を送る。
大学時代 入学時に父より大事な4年間を遊んで終わってしまいそうだから何か部活をやれと言われ、正門の横で甘い言葉の勧誘に誘われてゴルフ部へ。全日本で2位の強豪校とは全く知らずに入部。1ヶ月間はお客様扱いであったがその後急変して、長髪の髪が丸坊主に。ゴルフの腕前は年に数回、父に練習場へ連れて行ってもらったレベルであったため、周りはジュニアで活躍してセレクションで入った連中ばかりで大変なことに。苦しかったトレーニングも何とか頑張り、2年生の時に全日本リーグ戦において強豪日大を破って日本一に。今となっては良き思い出になっています。

明治屋時代 7年間お世話になりました。当時の酒の卸部門に配属されて板橋区・豊島区・北区・荒川区の酒販店を営業として担当しました。その時の同期とは今も会って酒を酌み交わせています。

家業時代 家業を手伝うようになった平成元年はまだバブル経済の途中であり、それから暫くの間に地元の高輪も大きく変化をしていきました。酒類販売の免許も自由化の流れで、色々と商売について考えさせられました。また地元に残った者は少なくて残っている自分が立ち上がらねばと40歳を機に小学校・中学校の同期会を企画。特に中学校の同期会は120名が集い、懐かしい顔ぶれが勢揃いしました。
飲食店経営 酒類販売だけでは生き残っていかれないという判断から酒類販売と並行して飲食店経営を試みることに。千代田区内幸町の日比谷シティ内の地下飲食街にてフランチャイズのラーメン店を開店。議員となった翌年の夏に事業を譲渡する。
結婚 色々と全くご縁が無かったわけではありませんが、半分以上は出来ないかなと諦めておりました。そのような中、友人のお店の白金にある甚六さんにて妻と出会う。最初は遊ばれて捨てられるものと用心をして付き合い始めたが、見事にゴールイン出来ました。

区議会議員 平成18年の春に故与謝野馨衆議院議員から「地元のために頑張ってみないか。」とお声をかけて頂き立候補。平成19年の区議会議員選挙にて初当選。以後、第44代港区議会議長を務め、現在は4期目の任期中。