校歌酷似問題について

本年の母校・港区立高輪台小学校の同窓会総会・懇親会が無事終了致しました。特に総会では石垣市立石垣中の校歌酷似問題を取り上げさせて頂き、昨年からの流れを説明をさせて頂きました。今回、港区教育委員会が石垣市側と協議を重ねて下さり、篠原本校校長へ石垣中の校長先生から謝罪の手紙を頂きました。私の会長挨拶の後、篠原校長のご挨拶の中でこの手紙を披露して頂きました。石垣中の校長先生の手紙の中身は、今回の酷似問題でご迷惑をおかけしたことへの謝罪と、どういう経緯で酷似してしまったかは70年も前で当時の者が存在せず、真相を究明することは不可能であること。しかしながら酷似をしており、参考にさせて頂いたことは否めないこと。また、卒業生は2万名を超え、在校生を含め、これまでこの校歌を誇りに歌ってきたとのこと。母校の校歌を想う気持ちは一緒であり、是非とも、ご理解を賜り歌い続けさせて頂きたいとのことでした。敗戦後から2年。沖縄が米国の占領下にあった時期での中学校の開校。占領下にあって、校歌を作れる状況にあったのかは、敗戦後の日本を知る同窓生の方々には十分に分かるのではないかと思います。私はこのブログで厳しいことを書かせて頂き、色々なご意見を頂戴致しました。それは申し訳ないけれども石垣市教育委員会の最初の回答が誠意の感じられない、とても受け入れられないものであったからです。私も最初は大変な憤りを感じておりましたが、敗戦国として米国占領下の当時の沖縄の実情を思えば、段々と理解をせねばという気持ちを持つようになっていきました。ただ、同窓生の中では厳しいご意見を頂戴しておりましたので、石垣市教育委員会の対応が必要不可欠でありました。今回の同窓会の中で、篠原校長先生から石垣中校長の手紙を読んで頂き、私からもこれまでの流れを説明をさせて頂き、如何に我が母校の校歌が素晴らしいのかを誇りとして、これまで通りに石垣中には校歌を歌ってもらいましょうとの同窓生のご理解を頂きました。著作権は北原白秋、山田耕作、両氏のご遺族にあり、学校側も、同窓会も訴える権利はありません。しかしながら、同窓会長として、問題解決に向けてのアクションを起こさなければなりませんでした。今回の一件を良き機会として、今は石垣中と我が母校の交流が生まれればと思っております。同窓生の皆様にはご理解を頂けましたので、次へのステップへと進めていこうと思っております。

母校 港区立高輪台小学校同窓会

本年も母校・港区立高輪台小学校の同窓会が盛大に行われました。150名を超える同窓生のご出席を賜り、会長を務めさせて頂く身として大変嬉しく感謝を申し上げます。総会も無事に進行して、懇親会では恒例の黒木淳さんの歌謡ショーと「記念日 希望のバトン」を作曲した西澤先生のピアノ伴奏による1.記念日 希望のバトン 2.ふるさと 3.高輪台小校歌を大合唱致しました。特に校歌は石垣中との酷似問題がありましたので、力が入り、熱唱となりました。酷似問題については別途書かせて頂きます。今年も昭和51年の方々が中心となって会を進めていくことが出来ました。役員の皆様に心から感謝を申し上げます。